消極的な自分
歳を重ねてくると、新しいことを始めるときや、日常になかったことをしてみようと考えたとき、少し億劫だったり、躊躇する気持ちが出てくる。
私だけだろうか? 若い頃は後先考えずに飛び込めたこと。それが、できない?というか、少し後ろめたさを感じたりする。
もう若くないし~、体力ないし~、お金ないし~、他の人に何と言われるだろうか~、できるかどうかわかんないし~、そこまでやる必要あるか分からないし~。
理由はいくつもある。それはすべて言い訳である。
時間
私の人生はもう半分以上過ぎている事だけは確か。残された時間は恐らく多くはない。
いわゆる健康寿命という時間で考えたら、残りあと10年かもしれない。
しかし、それは、年齢がいくつだろうと、同じリスクであるとも言える。
時間は「いのち」であると、日野原先生はよく仰っていた。この最も大切な時間をどう使うのか。
観念
ということは、この億劫感や躊躇感はいったいどこからくるのか。
それは、「この年齢には年齢らしいふさわしい生き方がある」という、自分の中の思い込み、観念に他ならない。
シニアにはシニアらしい生き方がある。リタイアしてのんびり生きるのが一番幸せ、といった観念。
どこからくるのだろうか?
本心
堂々と生きればよい、自分らしく。自分らしさは人それぞれ。
何が正しくて何が間違っているというジャッジを捨てよう。
今の自分で、何が出来るか、考えてみると、わくわくしてくる。
ここまで、過去の整理が進んだ今、改めて自分の方向を考えてみたい。
そして、どう生きたいのか、まずは話しにくいと思っている友人に伝えてみようか。